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ヨーロッパ旅行の記録-23日目-マルセイユ市街

朝食を摂ってユニテ内を散策。今日はレンタカーを借りてル・トロネの修道院を訪れる予定としていたものの、前日に見たマルセイユのドライバーの荒っぽさに怖気づき、その上マニュアル車を運転する自信を喪失したので断念。ヨーロッパはマニュアル車しか走っていないと言ってもいい程で、レンタカーにおいても同じ状況のようだ。自転車でマルセイユの港を見てまわる日。

我々が宿泊した部屋。
屋上のコンクリートはややくたびれた印象で、そろそろ大規模な補修をしたほうが良いのではないかと思わせる。
なんとなく10年前に来たときより建物全体に元気がなくなっている印象。初めて訪れた妻も同じことを感じていたらしく、前日のラ・トゥーレットの修道院のほうが生き生きとしていたとの感想。
スタジアムの近くで自転車を借りる。
マルセイユの港、Vieux Portにやって来た。ノーマン・フォスターの作品。
ステンレスの鏡面仕上げの大きな庇が港を行き交う人を映し出す。
ステファノ・ボエリというイタリア人の設計の会議場。30mくらい跳ね出しているのではないか。
ヨーロッパ・地中海文明博物館。こちらもイタリア系のルディ・リチオッティという人の設計。
博物館内部。コンクリートが黒っぽくてシックな印象。
博物館全体をスロープ状の回廊がめぐっている。この回廊は外部空間で、壊れたクモの巣のようなパターンのプレキャストコンクリートで外郭を覆い、内部の柱から持ち出しで支持されている。
地中海の強い日差しを和らげながら、潮風を感じられる快適な環境を作り出している。
ルーフテラスが用意されていて、外壁と同じ材料で覆われた庇の下で休憩。
ルーフテラスには歩道橋が設置されていて、その構造には驚愕した。
橋桁自体の断面は骨のような形をしていて、上下の太いところがフランジの役割をしている。
これで全長70mほどの距離を飛ばしている。プレキャストコンクリートで作り、橋桁を貫通するロッドにポストテンションを加えた構造だと推察するがどうだろうか。
この端で渡った向かいにあるのがサン・ジャン要塞。
要塞からの眺め。港の対岸の丘にはノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド寺院が聳える。

港を後にして自転車でユニテ・ダビタシオンへ戻る。マルセイユは港へ向かって下っているので、帰りの上り坂はかなりきつい。自転車専用レーンもあまり用意されていないため、それほど快適でもなし。オランダやベルリンではあれほど快適だったのは街が平坦だったからなのだなと遅まきながら気がつく。

ヨーロッパ旅行の記録-22日目-コンフリュアンス博物館

ラ・トゥーレットの僧坊で6:30起床。外に出て朝日を浴びる修道院を見る。修道院南側の丘の景色が素晴らしいことを知る。

木漏れ日を浴びる鐘楼
朝食はシリアル、牛乳、フルーツといった簡単なもの。食後、喉のあたりを触ると腫れ上がっていることに気がつく。顔の形が変わるほどの酷さだったため、相当焦る。病院へ行くことも頭をよぎったが、少し様子を見ることにした。今日中にマルセイユに行かなくてはならないからだ。L’Arbresle駅からバスでリヨンに戻る。
リヨンに到着する頃には顎の腫れも治まってきたので胸を撫で下ろす。夕方のマルセイユへの列車までの時間が空いたので、妻と別行動でローヌ川とソーヌ川の合流地点にできた、コープ・ヒンメルブラウ設計のコンフリュアンス博物館を見に行く。
外観。ガラスとコンクリートのファサード。
2007年竣工というから、それから10年ほど経っている。
エントランスホールで適当にチケットを買う。
ガラス屋根の一部が上から指で押されたように建物内部に落ち込んで着地している。ガラス屋根の荷重を床に伝える以上に、単純にこういうことがやりたかったのだと思う。
ユーゴ・プラットという、イタリア出身の漫画家の大規模な個展が開かれていた。読み込めばかなり面白そう。時間がないのが残念だ。
南に向くと右からソーヌ川、左からローヌ川。
展示をざっと見終えて上階からスロープで下る。
ガラスパネルを支持するのは繊細なスチール部材、その内側の鉄骨梁とはロッドで繋がれている。
外に出てピロティの下を川の合流地点へ向けて歩く。
南側の地上部分はほとんど機能がなく、水盤とカフェがあるくらい。
空調や換気のためのパネルは全て軒天に設けて外壁側へ出てこないようにしている。
上階の博物館本体のボリュームに対して着地している部分が極端に小さく見える。カニのような甲殻類の生物をイメージさせる建物。
パネルの精度が凄まじく、曲面をつくるポリゴンはCGに見えてくる。
妻と落ち合ってLyon Part-Dieu駅からマルセイユ駅へのTGVに乗る。
マルセイユは10年前訪れたときとはまるで変わっていて、おしゃれで小綺麗な街に変貌していた。
マルセイユの本拠地のスタジアムも出来ていた。
ユニテ・ダビタシオンに到着。遅くなってしまったので、明日ゆっくり見ることにする。

ヨーロッパ旅行の記録-21日目-ラトゥーレット修道院

ラトゥーレット修道院の最寄り駅L’Arbresleまでの列車は運休だが、替わりにバスが運行していることをネットで発見し、Gare de Loup 駅へ向かう。タクシー移動だった場合かなりの出費だっただけに胸をなでおろす。

L’Arbresle駅からラトゥーレットまでの道中の丘を徒歩で向かっていると、現地のおじさんが声を掛けてくれて車で送ってくれるという。幸運が続く。ラトゥーレットを訪れるのは2回目で約10年ぶり。それでも僧坊に泊まるのは今回が初めて。

エントランス。コンクリートの控えめなゲート。
右手の受付で僧坊の鍵を受け取る。院内では静かに過ごすこと、特に夜はそれぞれの僧坊で寝るように念を押される。心配無用です。
僧坊内部。粗い吹付けコンクリートを白塗装で仕上げることで陰影が強調されて面白い。
東側に向けられたバルコニー。右から順に、出入りのドア、FIXガラスの下にヒーターが設えてあり、一番左は換気用の小窓。幅1820mmほどにこれだけの快適性を詰め込める。FIXガラスの窓台だけはコンクリートとして、その他はすべて木製。
外を見て歩く。手前の大きなボリュームが礼拝堂。
南側の外観。西に向かった斜面に投げ出されるように建っている。ピロティの柱は南北方向の壁柱で、軽やかに見せている。
1階のアトリウム。
かなり設備を更新したようで、配管が天井を横切る。そのおかげで僧坊の空調は完璧だった。
僧坊の廊下。中庭に向かって水平窓がどこまでも続く。
中庭を見下ろす。屋上緑化がなければさぞ殺風景な見え方だろうと想像する。近代建築の五原則のひとつである屋上緑化が最も効果を発揮しているのがラトゥーレットなのではないか。
傾斜する屋上の下の空間。東に向けられた開口はこの壁面に美しい朝日を落とす。どこにいても、静かで心が落ち着く空間。けして禁欲的なのではなく、楽しさがあって、生きることを励まされているような気持ちになる。
その下に礼聖堂への入り口。
分厚い鉄の扉を開けて中に入る。
聖堂内部。トップライト、ハイサイドライトから光が採られていて、赤、黄、緑の色彩を放っている。
入り口の見返し。
下の階のチャペル。西に下る丘に併せて床に段差がついている。
しばらく待っていると、3人の修道僧が到着しミサが始まる。とても美しい聖歌が残響して空間を掌握してしまう。
ミサを終え、食堂に戻ってきた。左手が西側で、丘の向こうに沈む夕陽を眺めながら夕食をいただく。
今日宿泊する方々と同じテーブルを囲む。スイスの建築家ご一家とオランダ人哲学者。建築家と哲学者の議論に全くついていけず。共用シャワールームでシャワーを浴びて就寝。

ヨーロッパ旅行の記録-20日目-リヨン市街

やはりストライキのため、フランス国内に入るのはハードルが高い。トリノからリヨンへTGVで移動を予定していたものの、鉄道会社の窓口が閉まっている。しかたがないので深夜バスでの移動を決める。

トリノ。レンゾ・ピアノ設計の銀行ビル。

トリノに着いたのが19時過ぎ。夜行バスが深夜2時発のため、7時間程度時間が空いてしまう。移動続きで疲れ切っているので少しの時間でも体を休めるようにホテルに泊まる。仮眠をとって1時過ぎ起床、ホテルを後にして高速バスに乗り込む。やはり乗り心地は最悪に近く、我慢を強いられる。朦朧としながら7時位にLyon Perrache駅に到着。

そしてようやくリヨンのホテルにたどり着く。チェックイン前の到着で予約していた部屋が空いていないと告げられるが、夜行バスの移動で疲れているのですぐにチェックインしたいと交渉したところ、他の部屋を用意してくれた。ありがたい。

シャワーを浴び少し休んで大分回復したので、リヨンの街へ出かける。

クロワ・ルッス ( Criox-Rousse )地区のマルシェ。パエリア、タコのマリネ、オレンジなどを買って近くの公園で昼食。
丘からローヌ川への階段を下る。
水量が多く、とても清々しいローヌ川。
ローヌ川の東に位置するテット ドール公園( Parc de la Tête d’Or)
動物園、植物園、池、かなりの広さだ。すべて無料で利用できる。
ポニーに乗せてもらういろんな人種の子どもたち。かわいらしい。
ホテルに戻り、近くを散策。ジャン・ヌーヴェルのリヨン国立オペラ座。

夕方になり、明日以降の電車の運行状況を確認するためにLyon Perrache駅へ。ストライキ下の運行のスケジュールをSNCFスタッフに聞くも、彼らもよく把握していない模様。不安のまま眠りにつく。

ヨーロッパ旅行の記録-19日目-Fondazione Prada

ローマを出発しミラノに向かう。Roma Termini駅とRoma Tiburtina駅を間違えており、通りすがりの婦人に助けていただき、ギリギリ7:10の出発に間に合う。今回の旅はこうした親切に何度も救われた。そして10時過ぎミラノ着。OMA設計のプラダ・ファンデーションだ。最寄りのMilano Porta Romana駅からは歩いて10分くらい。

途中の中華料理屋で腹ごしらえする
もとは蒸溜所だった建物をコンバージョンしたもので、外周の建物はいじらずに、金色に塗られた内部の建物が顔を出す。とても控えめな面構え。
アプローチ
訪問者もスタッフもみなさんおしゃれ。
それに対して我々は全くの普段着でガラガラを引いてここまでやってきた。
全体のプランが床にはめ込まれている。ロの字型に既存建物が囲っていて、その中にPodium、Cinema、Cisternaといった新しい建物が立っている。Torreは昨日4/20にオープンしたというからかなりの幸運。
チケットカウンター。
地下へ降りて荷物を預ける。チープな素材使いをしながらディテールを徹底している。
中庭に出る。Cinemaと名付けられた建物は東側の一面鏡張り。
対面に建つPodium。持ち上げられた2階のボリューム。
外装材は得も言われぬ素材。おそらく発泡させたジュラルミンではないか。こんなラフな材料を外装材に使って精度良く納める意識や意気込みがすごい。
torre。ギャラリーが積み重なったタワーだ。
既存建物の屋根に穴を開けてエレベーターシャフトを通し、さらに建物全体をつっかい棒のように支持する柱も屋根を貫通している。
手前は常用の階段、ガラスで仕切られた向こうが非常階段。踊り場でつながっている。
階を表示する壁面はピンク色のプラスターボードにパテ処理をしたまま。その前にグレーチングを立てている。チープを大切に扱うとこんなにも見え方が変わる。
ギャラリー内。
巨大なきのこが天井から吊り下がるカールステン・ホラーの作品。
最上階のギャラリー。ミラノの町並みを見渡す。
4m四方くらいの大きさの真っ黒なキャンバス。
これはなんだろう、と皆が覗き込む。
近づいてみると、なんとハエがびっしりと張り付いている。皆一斉にのけぞる。
『A Thousand Years』というダミアン・ハーストの作品で、片方のガラスボックスに餌を置いて蛆虫を羽化させ、繋がれたもう片方のガラスボックスには殺虫灯が設置されているため、ハエはそこで死んでしまう。
そして死んだハエをキャンバスに貼り付ける。なんという生命の蕩尽。倫理観とかどうなっちゃってんだろと思うけど、作品の力が圧倒的。これをキャラリーの最上階に置き、フローリングに直に展示してしまうなんて、プラダすごいとしか言えない。

ミラノ滞在は正味5時間程度で、大聖堂も見ずにトリノへ向かう。