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ヨーロッパ旅行の記録-34日目-帰路

移動続きの1ヶ月間だったので、お土産をほとんど買わずに最終日を迎えてしまう。思い出したようにスーパーやドラッグストアをハシゴして土産を揃える。12:25CDG発のAir China。翌日5月7日13:55成田着。

今回の旅を振り返って。この旅は建築を巡る旅だったことは間違いないのだけれど、それを一人ではなくて二人で続けたことに大きな意味があったと思う。大小色々な問題が起きるたびに二人で相談して、解決を見出し、次へ進む、その繰り返し。美味しかったり、美味しくなかったりする食事を共有する。建築や美術作品を見て言葉を交わす。一人では得られない感情や感触があった。たくさんの都市、たくさんの建築に付き合ってくれた妻に感謝。

訪れた都市に暮らす人々。特に印象的だったのが路上で暮らす人々だ。どの都市に行ってもホームレス、物乞い、赤ちゃんを抱いた母親、小学生くらいの男の子が路上での生活を強いられていた。正直に言うと、建築を見て回る自分が浮世離れしたことをしているような気がして胸が痛かった。社会の歪みは日本よりもわかりやすい形で表出しているのであって、実際のところは日本も変わりがないのではないかとも感じた。

物乞いではないが、路上で日銭を稼ぐ人もたくさんいた。おもちゃ売り、バンジョー弾き、グラフィティを地べたに描く人、トラムに乗って舞台を始める男女…。みんな必死に生きていた。彼らの切実さと同じ切実さで自分は生活できるだろうかと自分に問うた。路上の人々が表していた生きることの切実さを胸にとどめて生活していこうとおもう。

ヨーロッパ旅行の記録-33日目-カレ邸

1ヶ月間の旅行も今日が最終日。長かったようで後半の2週間はあっという間に過ぎていった気がする。アルヴァ・アアルトのカレ邸を見に行く。最終日にふさわしい。

Gare de Saint-Quentin-En-Yvelines駅からバスに乗る。Bazoches Egliseというバス停からさらに20分ほど歩く。新緑の田舎道は気持ちが良い。
門が開くまで時間が空いてしまったのでカレ邸の近くのジャン・モネという政治家の別荘を訪れる。茅葺きで屋根が葺かれていて、そのボリュームに驚いた。
切妻屋根の片方はほとんど地面に着きそうだ。川崎市生田の民家園にあっても違和感がなさそう。
いざ開門。アプローチの木漏れ日の先にカレ邸が見えてきた。
こちらが北側。シャープな屋根。
鉄骨柱を除くと完全RC造の建築だが、レンガが張られ、更に塗りつぶしの白ペンキで仕上げている。凹凸がありながら塗り込められた白がつくる陰影はとても優しい雰囲気をだしている。
大きな単一勾配の屋根と2400mm程度の軒庇が架かるポーチ。
玄関ホール。ふわっと天井が高くなっていて、高揚感を誘う。
右手(西側)に天井が下っていて、階段と呼応するように天井もいっそう低くなる。
絵画鑑賞に適した北側からの採光。
20人くらいの見学者がいっぺんに集まるので人がいない写真が撮れないが、それでも他の人がどんなところに興味があるのかが見られて楽しい。
天井はレッドパインを小幅にしたもの。リビングは南北方向に細長く、30畳程度の広さ。
玄関ホール横の書斎。北西の光量が少ない場所で、しっとりと落ち着く。
リビングから玄関ホールを見返す。斜面に沿って床がスキップしていて、リビング側は玄関ホールより700mm下がっている。
斜面方向を見る。リビングの腰窓が斜面をトリミングして、奥の森に視線を誘導しているようだ。
主寝室。
点在する照明器具が人の居るべき場所を誘導するようだ。
寝室に続いているバスルーム。
バスルームの奥はサウナ。
キッチン。東側に開口が取られていて清潔。
ダイニングルーム
ダイニングテーブルと壁に架かった絵画に向けられたペンダントランプ。
1時間ほどで次のグループのために外に出なければならないという。残念だが、外を見て回る。南側からの見上げ。斜面を区切るひな壇と屋根の勾配、ボリュームの凹凸。
凹凸するボリュームは休憩場所なのだろうか。室内から出入りできることが出来たほうが使い勝手が良かったのではないかと思う。
東側。下屋の低い庇で2層分の高さを区切っている。
西側から。芝生の手入れが行き届いている。
単純な勾配屋根をスロープと同じ向きにしてボリュームを抑えているのがよくわかる。
屋根の吐水口と受け口。鉄骨の柱は無垢材が半割にしてくっついている。
受け口はこの地に咲くデイジーを模したものだという。
自然の形を素朴に採り入れる感性がすばらしい。まだまだ味わい尽くすことが出来ないが、カレ邸を後にする。
ガレットを食べて最終日が終わった。

ヨーロッパ旅行の記録-32日目-ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸

朝食を済ませてラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸にやってきた。10年前に訪れたときは改修中で見られなかったので、念願が叶ってうれしい。10時開門の時間をしばらく過ぎてもなかなか開かないため、呼び鈴を押して開けてもらう。

ラ・ロッシュ邸には今はコルビジェ財団が入り、訪問者はジャンヌレ邸のほうを見学することになる。
アプローチ。手前がラ・ロッシュ邸、奥がジャンヌレ邸。1923年、コルビジェ36才の作品。
ほぼ北からの立面。円曲した壁面、上部に連続窓。
その下のピロティ。手前の柵がなければもっと生き生きと使われると思うが、セキュリティ上難しいのだろうか。
玄関ホール。
3層吹き抜けていて、階段の踊り場が飛び出していたり、ブリッジが走っている。
玄関ドア見返し。ブリッジの左手がダイニング、右手がギャラリー。
2階ダイニング。淡いピンクの壁天井に東からの光が入り込む。
枠のつかない建具と巾木の仕舞い。
ダイニングの奥にブリッジ。
ブリッジの東面は一面ガラスサッシでリズミカルな割付。
ギャラリーに入る。天井高さに抑揚がついてリズミカル。
ギャラリー内部。右手のハイサイドライトから昼の光が差し込み、左手にはスロープ。
湾曲する面に取り付くスロープは躍動感がある。
ギャラリー見返し。
床壁天井の部材ごとに塗装が塗り分けられている。面積が大きいものは薄く、小さいものは濃い目の色彩。
スロープの勾配は思いの外きつい。おそらく1/8くらいではないか。
スロープを登りきって見返す。歩いて移動するのが楽しくなる空間だ。
スロープの先は図書室。
図書室から玄関ホールを見下ろす。
屋上は屋根が架かっていて、街並みを眺めながら時間を過ごせる。
ギャラリーを見下ろす。緑化するのではなく、こうして砂利を敷くだけでも柔らかい印象になる。
ジャンヌレ邸を後にして昼食。
オーギュスト・ペレのル・ランシーの教会を見るために移動。パリ北駅近くのRERのGare Magenta駅からGare du Raincy 駅へ。駅から北方向に歩いて10分程度。
外観は素っ気ない印象だが、無数のステンドグラスが嵌っている。
内部空間は声が上がるほど美しい。四周をステンドグラスが覆い、光に溢れている。
スレンダーな柱。側廊のアーチは長手方向に架かっていて、柱スパンで繰り返す。身廊と同じ方向でアーチをかけるとスラスト力を抑えるためにバットレスを設ける必要がある。しかしバットレスを設けるスペースがこの狭い敷地にはない。長手方向にアーチを架けた理由がそこにあるのではないかと推察する。
入り口は開け放たれていて、チラホラと人が訪れて祈りを捧げ、しばらくして帰っていく。1920年頃に建てられておおよそ100年、鉄筋コンクリート造の先駆けであったこの建築が今でも教会の役割を維持し続けていることに感激。
上から光が降り注ぎ人はそれを見上げる、といった本来の教会の光のあり方とは違っていて、人の目線の高さから光で満水にされた中を漂うような空間を体験した。

ヨーロッパ旅行の記録-31日目-ビルバオからパリへ

ビルバオの地下鉄。ノーマン・フォスター。

移動のみの一日。今日中にパリに戻らなければならない。ユーレイルパスの期限が今日までだからだ。ビルバオのバスターミナルを8:45発。スペイン側国境のIrunまでのチケットを購入していたが、バスはフランス側国境のHendayeを迂回していくため、お願いしてそこまで乗せてもらう。10:45Hendayeに到着。SNCFのストライキの日に当たり運行本数が激減していたが、予約していたHendaye-Paris間のチケットの便は運行することを確認。無事にパリに戻れそうだ。

13:12Hendayeを出発。HendayeからBordeauxまでのTGVは非常にゆっくりと進んだ。Bordeauxを通過したのがおおよそ16時。こんなゆっくりで大丈夫かなと思うも、BordeauxからTGVは本気を出してあっという間にパリに着いた。18:08、Paris Montparnasse駅。地下鉄でホテルへ向かう。

移動続きの1ヶ月間で緊張の糸が切れたように宿から一歩も出ずに眠る。

ヨーロッパ旅行の記録-30日目-ビルバオ

Madrid Chamartín 駅を8:00に出発、Renfeに乗って13:04にBilbao Abando 駅に到着。今回の旅行で一番の雨模様。傘を手放せない一日。

Bilbao Abando 駅。ステンドグラスが素晴らしい。
宿泊したホテル「Bilbao Art Lodge」とても親切な支配人が街の成り立ちから最近の街の復活について、周辺の美味しいお店など、ユーモアを交えて教えていただく。
教えてもらったお店に早速出向いて昼食。「El Viejo Zoetzi」
初めて食べるバスク料理。感激する美味しさ、美しさ、そして安い。
赤ピーマンと魚をオリーブオイルで和えたもの
昼食を終えて訪れたビスカヤ橋(Puente de Vizcaya)。2本の鉄塔は川の対岸に立っている。
建物の間隙からケーブルが伸び、鉄塔を引っ張っている。
通行料を支払ってしばらく待っていると、向こうから宙に浮いた宇宙船のようなゴンドラが近づいてくる。ゴンドラには車も乗っているようだ。
3分くらいでこちら側に到着。ゴンドラはケーブルで橋桁から吊るされている。
ゲートが開いて、車が発進。車の両側のコンテナのような部屋からも人がたくさん出てくる。
帰りのゴンドラに我々も乗り込む。待機していた車も今度は逆向きに進入。
スルスルと空中を滑るような乗り心地。
対岸に着いた。
全景。160mスパンの2本の主鉄塔、高さ45mに架かる鉄桁、ケーブルで吊り下げられたゴンドラ。どうしてこのような構造の橋にしたかというと、ビルバオは造船の街として栄え、大きな船舶が往来するため橋桁が邪魔になってしまう。そこで考えたのが運搬橋という方式。1893年、アルベルト・パラシオによって世界で初めて作られた。
ケーブルの支持部分。
柱脚はそのまま地面に刺さっている。
横方向のケーブルも。日本だと人が触れないように囲いかなにか付けてしまいそうだけどこの素っ気なさと合理性は気分がいい。
更には橋桁の上にも登れてしまう。歩いて往来もできるのだ。
ウッドデッキが敷かれ、間から覗く橋桁と水面。
またゴンドラが出発した。
バッテリーを積んだ上部台車はモーターが駆動してレールを走る。
すごいものを見たと興奮冷めやらぬまま、次の興奮が訪れる。フランク・O・ゲーリーの「グッゲンハイム美術館」
チタンと石張りの外壁。
建物の中心に位置するアトリウム。谷間に光が差してくるようで居心地が良い。
最も大きなギャラリーの展示はリチャード・セラだった。ゲーリーの空間と呼応するように作品が作られている。
チタンと塗装で仕上げられた外壁の3次元的の滑らかさに対して、ガラス面は曲面ではなく、鉄骨の支持も力でねじ伏せている感じ。
3次曲面は3階以上で激しさを増すが、展示階は3階まで。
ネルビオン川の反対から。コンクリートではなく、全て鉄骨構造でこの局面が作られている。
美術館横のスビスリ橋。サンチャゴ・カラトラバの設計。
1本しかない鉄骨のアーチは上空で橋の幅方向に湾曲している。そのためテンションロッドが美しい3次元曲面を描く。その代わり結構揺れる。人が通るたびにロッドがびよんびよん伸縮するのだ。荷重に余裕を見込んでいない設計ではあるが、そうでなければこの繊細なスケール感は出せない。
夕飯はピンチョスを食べる。「Gaztandegi」

ビルバオはグッゲンハイム美術館だけではなく、交通機関や橋梁など、街全体がデザインに力を入れている印象を受けた。造船業の衰退に伴って荒廃してしまった分、新しいことがやりやすい環境だったのではないか。バルセロナやマドリードよりもさっぱりと清潔な雰囲気があり、また訪れたい気持ちになる。