早朝、グエル公園へ地下鉄で向かう。地下鉄Catalunya駅でスリにあいそうになる。駅職員の女性が何事か言っていたので振り向くと男が私のリュックのチャックを開けていた。一瞬何が起こったのか分からなかったが、次第に怒りがこみ上げて日本語で怒鳴り散らしてしまう。向こうも食って掛かられるとは思わなかったのか、退散していった。なかなか不愉快な一日のスタートを切ってしまった。

グエル公園。
正直に言って昨日のカサバトリョでも感じた意匠過多のガウディに食傷気味だったものの、グエル公園は植栽が豊かで力強い。自然の力に助けられてカサバトリョよりは見ていられた。
バルセロナ美術館は午前のみの開館時間に間に合わなかった。残念。バルセロナに再訪する理由が出来たと考えよう。
14時頃、予約しておいたサグラダ・ファミリアを訪れる。
建設は組積造ではなくRC造に切り替えられ、急ピッチで進んでいる。長い時間を掛けて出来上がった部分と最近できた部分とでは素材感、色味が違ってしまい馴染んでいない印象。急ピッチの甲斐もあってというべきか、2026年の完成が見込まれている。今日は強風のためエレベーターがストップしてしまったので塔に登ることは叶わなかった。2026年以降再訪せねば。
東側は外尾悦郎の生誕のファサード。
生誕の門の登場人物は皆柔和な表情を浮かべており、東洋的な面影も感じる。
蔦が門を覆い尽くす表現。
昆虫や色々な生物が可愛らしく住み着いていて優しい世界を表現している。
対して西側はスビラックスの受難のファサード。最後の晩餐やキリストの磔が表現されている。
彫刻の表現は直線的で鋭角。苦悶や飢餓感が痛いほど伝わってくる。生誕のファサードはアール・ヌーヴォー的で、受難のファサードはアール・デコ的。どちらが優れているということではなく、2人の彫刻家に見合った仕事が与えられ、どちらも我々を深い感動へ連れて行ってくれる。
内部空間。
外部のこてこての装飾に比べて内部の筋張った柱と構造の空間。光に主役を譲ったのだ。